しあわせになるとは食欲を満たすことか

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しあわせになるとは食欲を満たすこと、はいつからか。

おそらく無謀な太平洋戦争を始めたころからと考える。1940年から1945年までの5年間日本は戦争(=殺し合い)に懸命で、生きて行くのに不可欠の食料生産は後回しにされ、おなかすいた、などと言おうものなら罪人扱いされた。

食料生産が落ち込んでしまっている国内では満足に食べられる日本人はほとんどなく、全国民がお腹空いた状態が10年近く続いた。農家ですら規制がかけられ、作った農作物を自由に出来ず供出させられて食料に不自由していた。

戦争が終わると、食料生産がガタガタになって食料が無い日本に、国外から何百万人が帰国してきた。   食欲を満たすことが唯一絶対の幸せになる条件なんだという空気が日本人に醸成され、常識となった。

しあわせと食欲は別だった
それまでの、武士は食わねど高楊枝!とか、腹八分、一汁三菜、美食家は痛風になる、等の医食同源の戒めなどどこへやら。

加えて、占領軍のアメリカから、肉食、パン食、生野菜食などの日本人の体質に合っているのかなどお構いなしの見てくれだけの食文化が幸せだとする風潮となった。ギブミーチョコレートの甘さに(スイーツか)日本人はたまげた。

しあわせになりたい、と誰しも思います、段階世代の懺悔。

しあわせになりたい気持ちを食欲を満たすことだけにしてしまったのは、戦後生まれの団塊世代。管理人も同世代です。

食欲旺盛な育ち盛りの時期に、干し大根とさつま揚げだけの煮物の中のさつま揚げを、兄と取り合いした。いま思うと見ていた両親はさぞ悲しく思ったことだろう。

白米が十分に行き渡らず、サツマイモを蒸したそのままを夕食にしたことも度々で、食べたい=幸せになれる、を忘れられず、高度成長で収入が増した分を食べることに傾注してきた。

もちろん、本人のみ個々人の責任ではなく教育も未熟、軍医上がりのドクターも医食同源を幸せの条件など一言も触れていなかった。

速めし、速ぐSO、芸の内・・と商人が使用人をおだてて働かせる言葉だと知ってか知らずか、物知り顔で早食いで食事を済ませる。
早食いが食べ過ぎから太る、になるのは現代医学では常識となっている。

しあわせは、医者通いでは得られない

医の前に、メデイアに登場する名医達は病気の治療法は専門家であるが、病気にならない食事・生活の指導は出来ない。仕事じゃないからか、メンドウしてもお金にならないからか。そもそも大学で医食同源など教育しない。

しあわせに、取り敢えずの幸せに、空き腹を満たすことに満足しながら過ごしてきた団隗世代についに、付けが回って来つつある

健康体こそが、しあわせになる根底の条件なのだが、なんでもいいから、食べて満腹、しなければしあわせを感じられずに居る家族にも、なんでも良いから食べて満腹になるのがしあわせだ、の思想を押し付けている。

体の消化・運動能力が落ちてきて、ぜい肉が増加しているにもかかわらず、消化薬、食欲増進薬などメデイアでしあわせになれるよと吹聴するクスリを大量に飲み続けて安心している、しあわせを感じている。

しあわせになれるクスリで健康がバランス良く保てるなら、薬だけ飲んで生きていけば良いではないか、しかし良く考えて下さい、そんなの不可能である。正しい食事バランスの良い食事こそが健康体を維持できる最良、最善、絶対の方法なのです。

しあわせになってますかクスリ漬で

こっちの薬を飲んでも、あっちの痛み、さらに違う部位の不自由さが気がかりで、こちらの薬も飲み始める。きりがない薬漬けへのスパイラル。!!
日本人が薬を飲み始めたのは、わずか100年ほど前から、人体ははるか数百万年の間薬など飲まずに今の人体を作り上げてきたのです。反対に、現代では、純粋の砂糖、塩、人工甘味料、アルコール、たばこ等人体にきつ過ぎる物を摂取するようになり、その弊害を抑えるために薬を飲むようになってきています。

純粋の砂糖、塩、人口甘味料は人体に甘みを与えてくれるが、人体が食事と認めないためもっともっと食べたくなる。アルコール、たばこなどは人体が解毒せねばならんと昼夜分かたず働き続けるので体の循環器などが疲労してくる、心臓、血管などが過労死する。効き目がおだやかなクスリの太刀打ちできる状態ではない。よく知られている、心筋梗塞、脳溢血、即死か後遺症を背負わされるか、無知が行き着く先である。

しあわせになるなら医食同源、あらためて、正しい食事、飾らない、食べ過ぎない、満腹をしあわせとすり替えない、正しい食事をとれるように、自分の認識の確認、商品の情報掲示の要求をしていきましょう。

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